2017 6月12日
今日もあらゆる面で益々良くなっていきます。
( ◠‿◠ )おはようございます😃
久しぶりに、母と電話して聴いた☎️ちょっとした話…
【昭和50年7月○日
仕事から帰ると、玄関で子どもたちに足止めされ、準備が整ったようで家に入ると、
食卓の上に、紅茶とお菓子。
「お母さん、お誕生日おめでとう🎉🎂🎁」と、9歳、6歳、4歳の子どもたちが開いてくれた小さな誕生日パーティー。可愛いかった。
それから、それぞれからのプレゼントを。
ボールペン✒️、☆○*,そして、このノート📔
子どもたちから祝ってもらった31歳の誕生日。
今日から、このノートにまた日記を書こう…】
そんなノートが見つかったのよ。
と、母の日記の1ページを教えてくれました。
私は、4歳,
9歳の姉と、6歳の兄。
もちろん記憶はないけど、お金のない小さな私達はきっとなんとかこっそり準備して、自分達なりにサプライズを用意したんだろうな。
記憶にはないけど、映像が浮かんで涙が出た。
母は、裕福な家庭ではなかったから、自分で看護師になり、なんとか切り盛りし、今は余裕のある生活を送っています。
役場の職員の父は、好きな事にお金を使うし、どんなに頑張っても決まった額だけ。安定してありがたいのですが、出ていくところが多くて、母が、いくつも仕事をして私達は高校を卒業しても学校に行かせてもらえました。
決して余裕がある訳ではなかったけど、便利ではない世の中は、みんなで助け合い小さな幸せをたくさん作っていたように思います。
今は、便利になって、お金さえあればなんでも手に入るようにらみえるから、お金がないことが不幸せみたいな風潮がありますが、
お金より、
思いやる心が貧しいことが、不幸せだなぁ
と思うことでした。
小さなサプライズ、人を喜ばせたい気持ち💗。
そんな思いやりの心💓を、育んでいきたいな。
いくつからでも、遅くない。
我が家の子供👶達や、主人とも
もっと向き合って、気持ちを伝え合うことの大切さ、人の事を思いやる気持ち💖を育んでいきたいです。
優しい気持ちを育んでくれてありがとう。
そう、両親に感謝です。😇
同じ家庭に生まれて育ててもらい、兄弟それぞれ。
母曰く、家庭の内情は伝え、我慢をするところは、我慢を…子どもたちにもさせた。
ただ、長男だけは、我慢させてなかったかもね〜と。
でも、兄は自分で靴下の穴を繕って履いていたのを私は知ってるし、色んな所で苦労もあったと兄を誇りに思ってます。今は、オーストラリアで生活して、私とは桁違いな暮らしぶり。
私は、我慢してた気概はなく、あまり物欲もなく、色々自分で選んできた人生だから、ラッキーの積み重ねみたいに思ってます。
いつまでも、貧乏性な私、これは性分だから仕方ないかな。だけど、素晴らしい方々に支えられ、私なりに幸せかなぁ。
自分が作り上げていく家族。
母としての覚悟。
いくつになっても、母には敵わないです。