2026.8.18②
8月5日の父は、酸素マスクをして点滴に繋がれていました。まだ目👀に力があり、私が来たこともわかったようでした。
6日の朝には、姉と私の長男が福岡から駆けつけ、
7日には、東京から兄の長男と私の娘、福岡から姉の次男が駆けつけることになりました。ギリギリまで迷いましたが、鹿児島から主人や次男は今回は諦めることになりました。地震での道路事情や、お盆シーズンということで、対馬までの往復のチケット入手も困難なのです。
姉が6日に到着して、ドクター🧑⚕️と今後のことについて話がありました。
「誤嚥性肺炎と心筋梗塞を患っているので、(もともと癌の手術をしてます。)年齢と食事が取れないことなど今後回復の見込みは難しい😓ということで、緩和ケアに切り替えて、酸素マスクをはずし、少しでもお話しができればとのことで、6日の16時頃から切り替えられました。
それに伴い、家族は、そばに着いていられるとのことで、家族控え室にて待機し、夜7時以降は、面会終了なので一人ずつ父の病室で付き添えることになりました。
6日の夜は、母と私の長男が自宅にて留守番で、姉兄妹とお嫁さんの四人で交代しながら、一晩過ごしました。マスクをはずしても、父の酸素濃度はあまり変わらず、眠ったり目を開けたりしていました。朝方の当番の姉が、5時ごろ、「お父さんが、ありがとうって言ったよ」と教えてくれました。よかったね。私が交わした最後の言葉は、熱でアイスノンを頭に敷いていたので、解熱してるから、「取ろうか?」と言うと、「取らんでいいよ」と返事をしてくれました。
7日の昼間は、母やみんなや、お見舞いに来てくれた父の友達もいて、賑やかな病室でした。
昼過ぎに孫たちが駆けつけてくれました。夜は、男子チームが泊まり込み、女子チームは、自宅で眠って、8日を迎えました。
5月の終わりに、父とまた会おうねと約束していた8月8日です。
父も母に私たち三人の子どもたちが八月に来るから、それまでは頑張って生きていると言っていた8月8日…昼間は、まだ身体の向きを変えようとしたり少し動いていました。もしかするとこのまましばらく大丈夫かも?と思いつつも、11日には、兄家族に姉、娘までみんな飛行機で帰路に着く予定になっていました。この先どうなるか、亡くなった時のことも考えながら…8日は、女子チームが夜付き添うことに。私は、9時から11時,丑三つ時は、やめて🫷ほしいとお願いをして…私の次は、娘が2時間。なんとなく、父と二人で過ごす時間は、もう最後かも?と思うと、2時間はあっという間で、延長1時間で、娘には1時間だけ付き添いを頼みました。思い出話を語りながら、手足をさすったり、背中を撫でたり…
8日の最後の父は、かゆいのか、体をかこうとするので、それを止める私の手の甲をつまむくらい、力がありました。若い頃大好きだった「さざんかの宿」や、「釜山港へ帰れ」などの歌を耳元🦻だ聴かせてると、目👀を開けたり、手すりを強く握って起きようとしたり…最後まで元気な姿を見せてくれました。二人だけの音楽を楽しむ時間でした。
娘と交代した時に、とても目を開いて👀最後の力を見せてくれていたようです。
そのあと、姉さんとお嫁さんと当番が終わり、私の番になった4時ごろ…私のお腹の痛みがあり、姉が変わってくれました。
しかし、その後すぐ連絡が来て、父が最後の時なので病室に来てと…姉は、自宅にも連絡し、すぐに母他みんな来るように連絡していました。LINEのテレビ電話を私と長男とがつなぎ、車の中から、母にも声をかけてもらったり、みんかで呼びかけましたが、心拍が止まりました。
母達が病院に到着して、看護師さんがドクター🧑⚕️を呼んで、
8月9日4時53分、83歳
みんなに看取られ安らかに永眠しました。
本来なら、私の当番の時間でしたが、最後を長女が担当して、よかったと…
ちゃんと、8月8日まで、頑張って、子どもたち孫までも最後に立ち合わせてくれた立派な父👨約束を守るきっちりした父👨誇らしいことでした。
「お父さん100点💯満点だよー」と言いながら…
8月9日は、友引。
なので、8月8日に他界しても、葬儀は10日しかできず…みんなで見送れるタイムリミットは、9日の午前中までだったので…お父さん👨あなたは、家族のことも考えてほんとに素晴らしい別れでした。私たちは、寂しさはありますが、痛みや苦しみよりも、安らかにあまり痛がらず、らくにしてあげたかったのでね。8月9日は、長崎県民には、原爆記念日で特別な日。長崎県の公務員を務めあげた父には、みんなが祈ってくれる最高の日に天に召されたので、これまたよかったねー。
そして、私の義理の父も9日が命日なので、これから忘れることなく過ごせます。😇父と母の、交友関係の広さは、この後もすごいなーと思わされました。アマチュア無線の世界では、ちょっとした有名だった父に、日本の各地からお悔やみが届きました。母は、義理硬い人なので、たくさんの弔問がありました。人付き合い名人の母と、真面目でお茶目な父。ぶっきらぼうに見えても、優しかったと従姉妹からも聞くと嬉しくなりました。



